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金屋食堂について

三代に受け継がれる、朝倉の味
福岡県朝倉市に暖簾を掲げる「金屋食堂」は、昭和の時代に祖父母が開いた食堂をルーツに持つ。 長年にわたり、地元に根ざした店として家庭的な料理と温かいもてなしを守り続けてきた。
現在は、三代目となる矢野恭平がその味と想いを引き継ぎ、日々の食卓にほんの少しの特別を添える存在として、地域に深く愛されている。昼は母が守る味が、そして夜には、職人として研鑽を重ねた矢野による料理が提供される。
地元の常連客はもちろん、口コミを通じて県外からも多くの人々が訪れ、名物「だし巻き玉子」や季節の一品を楽しむ。料理はどれも、素材の持ち味を生かし、丁寧な仕事で仕上げられたものばかり。気取りのない空間に宿る、確かな技と真心が、金屋食堂の魅力をかたちづくっている。

食堂の枠を越えた、新たな挑戦
金屋食堂は、ただ歴史を受け継ぐだけの場所ではない。 三代目・矢野は、伝統の中に革新を織り交ぜ、食堂のあり方そのものを再定義しようとしている。
その一つが、料理の魅力をより多くの人に届けるために立ち上げたYouTubeチャンネル「金屋食堂 ちゃんねる」。職人としての技、食材へのこだわり、そして料理の楽しさを、自らの言葉と手仕事で発信する。店舗での提供にとどまらず、映像や言葉を通じた発信によって、金屋食堂の世界は静かに広がりを見せている。
金屋食堂は、単なる「食堂」にとどまらない。 丁寧に、まっすぐに、日々の一皿を積み重ねながら、新たな価値を生み出し続ける。
その姿勢こそが、食堂に息づく「職人の矜持」そのものである。

幼少期から育まれた料理への情熱
矢野恭平は、金屋食堂を営む家庭の中で育ち、幼い頃から自然と料理に触れてきた。
初めて卵焼きを作ったのは、まだ幼稚園の年長の頃。祖母の手ほどきを受けながら、遊びの延長でキッチンに立ち、時にはその一皿が祖母の友人たちに振る舞われることもあった。わずか6歳で500円を受け取った“はじめての料理”は、彼にとって確かな原点となった。
学生時代はバスケットボールに打ち込みながらも、料理への想いは揺らぐことがなかった。進学後は福岡・京都・大阪と、各地の料亭や寿司店で修業を重ねる。厳しさの中で何度も心が折れそうになりながら、それでも「料理しかない」と思い定めた覚悟が、彼を職人として育て上げた。

食堂を継ぎながら、食の可能性を広げる
26歳で実家へ戻り、体調を崩した父の背を追うように、夜の営業を一から立ち上げた。 初めの一年間は、売上がほとんど立たず、悔しさや焦燥に襲われながらも、意地で店を守り抜いた。
目指したのは「ここらで一番うまいだし巻きを出す店」。ひとつの料理に想いを込め、妥協のない味で客を惹きつけてきた。
金屋食堂が再び多くの人に選ばれる場所となったのは、矢野の職人としての矜持と、粘り強い姿勢があってこそ。
矢野恭平は、伝統に立ちながらも挑戦を忘れない料理人。 その手から生まれる一皿には、三代にわたって紡がれてきた歴史と、料理に向き合い続ける一人の職人の物語が宿っている。

高校卒業後、福岡・京都・大阪の料理店で修行を積み、実家に戻り夜の営業をスタート。
「この町で一番美味しいだし巻きを出す店にしたい」という思いを胸に、試行錯誤を重ねながら食堂を進化させてきた。
今では地元はもちろん、県外からも訪れるお客様が増えている。
YouTube「金屋食堂ちゃんねる」では、料理の楽しさや日々の挑戦を発信中。